私がこの仕事に入ったきっかけとなったのは今から55年前にアメリカに移住した叔母に起因しています。叔母は私が小学校6年生の時に20年ぶりに白人の夫と日本に戻ってきた時、一緒にアメリカの雑誌を持って帰って来ました。その雑誌の名前は忘れたけれどその中に出てくる男性モデルの肉体や、トレーニングマシンの広告に心を奪われました。「人間はトレーニングをする事でこんな体に変身出来るんだと、」それ以来、筋力トレーニングのとりことなり目に出来る筋力トレーニング関係の物は可能な限りありとあらゆるものに夢中になりました。
しかし、その時一番の問題と悩みは、いかんせん滋賀県の片田舎、本屋に筋力トレーニングの雑誌も無ければ、ジムやトレーニングセンターなどあるよしも無い。たまに家族で都会へ出たときに百貨店の洋書コーナーで大枚はたいて選びに選びやっと一冊だけ手に出来る。でも嬉しかった、今もその時の情景ははっきりと心に持っています。
なんやかんやで何とか雑誌は手に入れる事が出来たのですが、道具となると当時滋賀の田舎では手に入れるなどとは不可能。またスポーツ店で器具はおろかダンベルひとつでも非常に高価な物で全く手が出ません。そこで買えなければ作る、これ単純。当時いろいろな物を作りました、親父の釣道具の鉛の重りを釜飯の器で溶かし足型にしてズック靴の中敷の変わりに入れて履いて試したり、学校からだめになったサッカーボールをもらってきて、その中に川原の砂を詰めて重りにしたり、工事現場でコンクリートの余り物をもらって空き缶に詰めて重りにしたりしていました。やっと何とか道具が手に入ったのはよいのですが、今度は練習の方法が解りません、ジムもトレーニングセンターも経験者もまったく無し。もちろん現在のようにビデオや動画などは存在しません。頼りは洋書に出ている男性モデルのトレーニング写真だけ。なにせ35~38年前は凄まじい。その静止画から試行錯誤をしてトレーニング動作を探し出す。 ひとつの運動動作が解るまでものすごい労力と時間を費やしてやっと解るという事の繰り返し。
この時の経験が私にとって本当に良かった事であったと今心から思う事が出来るし、今日の鍛錬のマシンの基盤になっていると実感します。鍛錬では動画や文献が豊富な現在でも今までと同じスタンスで動作の解析をしています。
教えらえる事も聞く事も見る事も出来ず、ただほんの少しの限られた情報の中で真実を体感と実践から見つけ出すしかしょうが無かった。しかし、この経験が不要な先入観や決め付けの理論、肩書きなどにとらわれずに現実を見る目を養う事が出来、いつも真実を探求する姿勢が出来たのだと確信しています。
鍛錬のマシンは日々進化しています。毎日真実を追究しています。鍛錬のマシンを知らないで筋力トレーニングマシンを語らないで下さい。全ての筋力トレーニングマシンを触った後で鍛錬のマシンを触ってください。そこには私が38年前に出会った、人間の可能性の素晴らしさの感動が皆さんに伝わるでしょう。
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